何にも追われない時間
- 2019.11.06
- ビガン
人間は常に何かに追われている。
登校時間、課題の提出、 試験での結果、 待ち合わせ時間、洗濯ものの取り込み、ペットのご飯、生きるのに必要な資金調達、生きるのに必要な食料調達、旅先でのぼったくりおじさん、帰りのフライト、上司への返信、親の心配、どこへ行くかの決断、どこで学ぶかの決断、人生のパートナーを見つけなければいけない、自分の次のライフキャリアの選択、寿命、などなど、
僕らは常に何かに追われている。
なぜこんなに忙しく生きているんだろうか。なにかに迫られて、なにかに追われて生きていないだろうか。
自分の人生を、生きているだろうか。
もちろん、忙しく生きる毎日が悪いわけではない。
忙しく生きてるってことは、人より何倍も濃い時間を過ごせているわけだし、よりいろんな経験ができているはずだと思う。何かに追われればいつも以上に力がでる(夏休みの宿題とかテスト前とか旅の出発前とか)し、資本主義で競争主義の世の中では、自分を追い込んでいって上へ上へのしあがっていくのも一つの手段だと思う。
大切なのは、自分の人生を生きているかってこと。
自分の人生を生きているか、自分はどんな人なのか、自分は何が好きなのか、自分のことって案外自分でも全然わかっていない。
振り返ってみると、高校の時って、なんかとりあえずやんなきゃいけないって、とりあえず先に進まなきゃいけない、負けられない、もっと上に行かなきゃいけないって、そう思ってた。
誰かを意識してたわけでもないけど、世の中にはもっとすごいやつばっかで、そいつらと戦うにはどうすればいいかとかって、知りもしない他人と比べたりしてた。
まあ、資本主義の教育を真面目に受けてたし、負けず嫌いだし、第一この世界が資本主義で競争主義だから、自然と生きてたら当然そうなるだろうね。
今もそれは変わってないんだろうけど、今はだいぶ前より他人に興味がなくなって、今まで自分の外に向いてた矢印が自分に向いてきたのかもしれない。
今僕は、ほとんどなににも追われない生活をしている。
仕事も特にないし、実家にいるので生きるのに必要なものはすべてそろっている。行かなければいけない場所があるわけでもないし、やらなきゃいけないことがあるわけではない。
こんな生活、世の中では、ニートって言われるんだろう。
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そうだ、僕は今ニートだった。
言いたいことはこんなことではないが、書くこと忘れたので、終わります。
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